
16歳で学校を辞めてクラブと白ラベル・アナログ学科に本腰を入れた時期から今までの間SKREAMは様々なことを成し遂げてきた。
「学校は大嫌いだったし、学校も俺のこと嫌いだったよ。めったに行かなかったし、基本行きたくなかったんだ。初めてプレイステーションで音楽が作られてるのを見て、即決定だったね。他は考えられない。GCSE(イギリスの高校進学時に受ける国家試験)でAを5つ取った奴も知ってるけど今は人生がつまらなくてしょうがない顔してるよ。」
学校辞めてすぐ働いた場所が地元クロイドンのBig Apple Records(ビッグ・アプル・レコード)だった。ビッグ・アプルはストリート上がりのダンスミュージックにとっては、パンクでいうRough Trade(ラフトレード)のような存在だった。1998年当時、2ステップの売れっ子リミクサーだったArtwork (アートワーク)ことArthur Smith(アーサー・スミス)とDanny Harrison(ダニー・ハリソン)は2階にスタジオを持っていて、SKREAMとBENGAは1階の店のレジにいない時は必ずスタジオで地元の英雄達の仕事ぶりを観察していた。「店で働いてて学んだのは、知らない人間との話し方だね。土方が入ってきて2ステップ・ガレージのレコードを買いに来る時もあれば、大手流通会社が来る時もあったからね。色々違うとこ出身の違う人間に会えたんだ。」
ダブステップの初期の頃、彼とBig Appleのメンバーは自分達と周りの友達に聞かせる為に曲を作っていた。今や数千人を集める正真正銘のビッグパーティーとなった'FWD>>'も最初は20人弱で集まって曲を聴いてた。しかしそこはレジデントを勤めるDJ Hatcha(ハッチャー)が最初にSKREAMの曲をかけたイベントでもあり、本人が最初にDJした場所でもある。その音楽の純粋なパワーに惹かれ、徐々に人が増えつつ、BBC RADIO ONEのMary Anne Hobbs(メリ・アン・ホブズ)が大きく取り上げたり、ウェブ上であっという間に殺到したフォーラムが出来たりした。そんな中誰の名前が最も響いていたかと言うと、Midnight Request Line(ミッドナイト・リクエスト・ライン)といったダブステップの一番最初のヒット曲を生んだSKREAMだった。
「あの曲は初めてメインストリームの人達がアンダーグラウンドをのぞき出した頃の曲なんだ。当時はまだのぞいて「ムーブメントが起きてるんだ、へぇー」で終わってたけどね。」 そして2006年にHot Chip(ホット・チップ)の曲 'No Fit State'(ノー・フィット・ステート)のパーツを入手した彼はリミックスを作りクラブでかけて行った。その翌年The Klaxons(ザ・クラクソンズ)に連絡して'Not Over Yet'(ノット・オーバー・イェット)のパーツを入手して、曲の骨組みを変え、シンセや特徴的なベースを加え完全に自分の曲にした。そしてその次に来たのがかの有名なLa Rouxのリミックス。SKREAMの'In For The Kill'(イン・フォー・ザ・キル)のリミックスはウェブ上に漏れ、数万回ダウンロードされて、終いにはBBC RADIO ONEの有名DJ Annie Mac (アニー・マック)が国営放送でリスナーにその月のナンバーワンにするよう呼びかけた。
彼は昔から制作ペースは異常に早い。現在アルバムは2枚、コンピレーション2枚、2003年から合計81曲リリースしたが、DJでかけたオリジナルは数百曲ある。2007年から使っているハードディスクには872曲の未完成の曲が入っていて(2001年から2007年まで使っていたハードディスクにも同じぐらい入っている)、未だに実家の寝室にある彼のスタジオには20,000曲以上の曲データが入っている。「俺は作るのが早いんだ。作り出して25分後にそこまで面白くないと思ったら、次の曲を始めるんだ。」
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